「思い出は降る雪のごとく遠く切なく・・・」 序章
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あした、逢えますように・・・。
はじめに
もう50年以上も昔の話になりましたが、今でも当時のことは鮮明に記憶しています。
何しろ私の女性遍歴の中では初めての女性であり印象が鮮烈で今でも、ありありとおぼえているのです。当時、私は福井県の越前大野の町に住んでいました。そこは九頭竜川に沿って開けた越前松平氏と土井氏が治めた小さな城下町です。昔から絹織物が盛んで、私の生家はそこで代々、大きな機屋を営み、昔は大野藩の藩士の身分だったということです。
私が生まれましたのは大正14年で昭和に切り替わる前年のことです。これからお話しするのは私が小○校から中○へ入るころのことで、ちょうど昭和の始め頃、日華事変が始まり世間がそろそろきな臭くなってくる頃のことです。とは言いましても田舎のことですから全くのんびりしたもので、私もまだまだ田舎の大きな機屋の倅として何不自由なく豊かに暮らしていたのでございます。
当時、父親はすでになく、家業及び家屋敷一切を母親が仕切っておりました。もともと女系家族で父は婿養子で母が気丈にすべてを仕切っていたという訳です。
そんな中で、私は女兄弟の中で唯一の男子として生まれ、それは大切に育てられたのです。とは言っても、母は大きな家と家業一切を仕切るのに忙しく子供を育てるのはもっぱら乳母と女中の仕事でした。私も大切に育てられたとは言ってもやはり母の手ではなく、すべて乳母と女中の手で育てられたのです。ですから母はあまり親しみは感じず、気丈で男勝りに下女や女工を追い使う怖い存在でした。
私はそこで中○を卒業するまで暮らし、高等学校と大学は京都の同志社に進みました。大学の途中で一時、戦争に取られて舞鶴の海軍予備士官学校へ行きました。幸い戦争は程なく終わり、私は無事大学を卒業して再び越前大野に戻って、家業の機屋を継いで生活しています。まあ、田舎ですが、それなりの資産がある生活で戦争の被害も無く、暮らしに困ることも無くまあまあ豊かに暮らしてまいりました。田舎ですが一応、名士のはしくれでもあり家業の関係で出入りの女性も多く、私も普通の男子として、いやそれ以上でしょうか、世間並みに女性関係もそれなりに経験しています。そんな私にとって、忘れられない初めての女性がこれからお話しする、福田久との関係です。
久は家の女中をしていており私の身の回りの世話をしてくれた女性でした。そして私の初体験の相手でも有り、半ば夫婦のように過ごした相手です。それは何と私がまだ小○6年生から中○を卒業するまでの年齢で言えば十二歳から17歳までの多感で性に目覚める頃の5年間の事です。久は確か私より二周りも年上で母と同じ位の年齢だったと思います。そんな女性と夫婦として暮らしたのですから、今から思えばやはり異常な経験です。しかし当時の私にとっては全く自然で楽しい生活でした。今ではもう久もこの世になく、当時のことを知る人も少なくなって、まあ、時効と申しますか洗いざらいを語っても良い頃だと思って筆を取った次第です。
(以下 『 「思い出は降る雪のごとく遠く切なく・・・」1 』 へと続く)
北村幸作 著
「思い出は降る雪のごとく遠く切なく・・・」 抄録
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